25歳になって振り返る、夢とか就職活動とかあれなんだったのかという事。


 

 

僕は1988年生まれの25歳です。ふと、ああ、今年で生まれて25周年なのかと思い。つれづれなるままに25年の短い人生でわかってきたことなどを述べて行きたいと思います。

 

25歳の僕の今。

それにしてもブログっていうのは面白い。こうやって何か残したいことをPC1台あればいつでもどこでも記録できて、全世界に発信できるんです。ただし、今、メインで使用している言語は日本語で外国語へ返還するソフトを持っていないから、この記事を読めるのは今の段階では日本人か日本語をある程度のレベルまで習得した人に限定されますが。

今、僕はこの記事をベトナムで更新しています。時間は夕方の17時くらい。なので、日本では18時ですか。(ちなみにベトナムでの事はベトナムナビでまとめているので、興味があったらこちらもどぞ!)

今、僕は日本の企業に所属をしながら、ベトナムで仕事をしています。仕事内容はwebに関する仕事です。一応、こんな僕でもディレクターをやっていてベトナムの人たちとチームを組織して、ベトナムのマーケットで商売しようとしているところです。収入はブログメディアからの収入と会社からの給料を合わせて400万を少し超えるくらいです。

ベトナムでの仕事は問題もたくさんありますが、成功させて収益あげながら世の中に良い影響をちょっと残せる青写真は見れています。まだ、努力が必要ですが。

これから数年はベトナムを中心にアジア圏で仕事を作って行くために色々アクションして、結果を出していくつもりでいます。それにしても学生だった頃、いや2年前までは今のような生活になるとは予想もしていませんでしたな。

 

昔思っていた事。

さかのぼれば、小学校時代の夢は宇宙飛行士でした。当時は毛利さんとか若田さんとか宇宙飛行士が活躍してたので、それに影響されたのでしょう。僕が小学生だった1990年代にはハリウッド映画でも「アルマゲドン」とか「スターウォーズ」とか宇宙時代を予感させるような作品が数多く公開されていました。

中学3年までは理科が好きで、宇宙飛行士は高いところがあんまり好きじゃないので辞めたのですが、理科に関する事を何か仕事にできたら面白いかもとだけ思っていました。

高校に入って、就職とかが視野に入ってくると仕事に関して考えるようになりましたが、僕は特にこの仕事をしたいっていう考えはなかったです。どちらかっていうと楽してお金もらえたらいいや!という考え方だったので。公務員とかになろうかなーとか思っていました。大学はもっともつぶしが効くという事で法学部へ入学しました。

大学時代には軽音楽部に入って活動しながらゼミの活動みたいな事もやっていて、そこできっかけがあったんですね。サークルのリーダーみたいな役職にたまたまなる事になったんです。それは僕の希望というよりかは周りからの推薦だったのですが、もともとリーダーやりたいと行っていた奴がなんだかモチベーション下がっちゃって僕たち世代でリーダーやるやつがいなくなっちゃったんですね。

なので、僕がリーダーになった。

なまけものですが、責任感は人より少し強い性格なので、どうせリーダーやるならこのサークル良くしてやろうと思って、色々がんばりました。大学との交渉とかイベントのセッティング、担当教授とのコミュニケーションなんかに始まり、50人くらいいるメンバーが楽しみながら成長できる環境ってなんなんだろうと模索してみたり。とにかく僕のミッションはその組織を良くしてみんなで楽しく学生生活を送る事だと思っていました。

”楽しみながら、成長して幸せになる”

っていう軸は今もぶれてないと思います。楽しくなければ、1度きりの人生もったいないし、成長がなかったら、今の状況からなんにも、良くならないってことだと考えていて、それは燃えないゴミみたいなものです。←この話には別で1ページ作るくらいの説明が必要なので、違和感を感じたら、あまり気になさらないほうがいいです。

だから、就職活動の時、銀行とか公務員とか見ていて違和感を感じました。どこかで歯車として生きる人生は僕の価値観とは違う。

当時の就職活動っていうのは4年生の初め4月くらいに決着がつくんですが、僕は4月くらいからwebの仕事に着く事に決めました。今から変革が必要な業界で学んで、色々なビジネスを知って自分でビジネス始めちゃえばいいじゃんと思っていました。

当時のビジョンでは28歳までにビジネススキルと経営スキルを養って、30までに独立するというビジョンでした。その当時の25歳の展望は今の会社で営業職みたいな役割をしながら勉強するつもりでいました。もちろん日本国内で。

 

東日本大震災と未来の日本

2011年入社2年目の僕は東日本大震災に遭遇しました。未曾有の大災害、歴史の教科書に載るようなできごと。それを自分自身で体感しました。震災が起こった時、色々な衝撃を受けました。精神的に。自分のコントロールできない事で死ぬ事があるんだなとか、コントロールできない事で生活が変わってしまうんだなと思いました。

そのころからちょっと視野を広げていろんな事を見ようと思い始めた気がします。

人生はいつ終わるかわからんのだから、ちょっと人生観を考え直してみようか。僕は職場を変えようと思いました。当時僕が所属していた企業は専門的なスキルが身に付くのは事実だったのですが、変化の早い業界で視野の狭い事ばかりやっていたら、くさって周りに対応できずにずりおちてしまうような焦燥感にいたったのでした。

 

自分のしたいことは固まっていませんでしたが、ひとりで社会生活を営む上でこれだけお金があったらいいだろうなとか、こういう仕事の仕方をしたら成長に繋がるなという事は徐々にわかりはじめていました。当時の僕の給料は手取り20万くらい。少なくないですが、自由に遊んだり自己投資するほどのお金ではないと当時は思っていました。本当はやり方次第でお金はいくらでも使えたんだけど、知らない事が多くてどうしてもお金がなかった。当時は。

 

広告貼ったブログを始めたのも23歳だった

この頃から情報収集をネットでたくさんするようになって、たまたまブログでお金が儲かるという事がわかったので、ブログメディアをいくつか作りました。ためなるもその一つです。当時は月収5千円でもお金が増えたらいいなくらいの軽い気持ちでした。文章を書くのは割とすきだったので、ブログを作るのは楽しかったですし。結果的には1ヶ月10万円くらいの収益を上げるサイドビジネスになってまだまだ成長してるんですが、当時はそんな可能性は考えていませんでしたね。あくまで趣味+ケータイ代の支払いをブログでやろう。くらいでした。

 

転職未遂

結局転職はしませんでした。転職しなかった理由は自分がしたい事を当時の上司に話したら自由に仕事していいポストを与えると言われたので、それならいいかと思ったからです。お金の問題は解決できませんでしたが、自由に動いて良い環境というのは企業に所属する以上予想外の条件だったので、一気に天秤が傾きました。

 

それからは自由に考えて、自由に勉強して、自由に仕事をしました。今の会社の利益を増やすためにはなにすればいいんだろう。そんな事はそれまで本心では考えませんでしたよね。あくまでサラリーマンです。

 

仕事は楽しくって、ネットビジネスで利益も前年度比、200%くらいまで上がって、←もともと赤字の案件とか多かったので。仕事は割と順調でした。

 

そんな時、アジアが目に入った。

利益は順調に上がっていたのですが、日本のwebマーケットはかなり成熟して成長しているので、ライバルたちはとても強かったです。僕たちが売上げ月間100万円のビジネスをなんとかがんばってつくっても競合はその5倍webで売っていて、リアルの店舗でも商品販売してるよー。なんて情報が入るとまだまだなんだなと思いましたし、そのポスト欲しいながんばろうと思いました。

 

そんな時、どこからともなくアジアの情報が入ってきました。ITベンチャー企業がアジアに進出し始めている。一番あついとなっていたのはベトナムでした。人件費が安くて経済成長率は他のアジア諸国が低迷するなかで8%程度をキープしているという情報が入った。うちの会社もアジアへ進出していく決定になりました。

 

僕は当時、半信半疑でたしかにマーケットとか人件費とかメリットはありそうだけど、中国と一緒難じゃないのと思いました。中国が流行った時期も同じ理由でマーケットが大きくなっていて、でも人件費はやすいから工場着くって中国マーケット出ようとみんなが言っていたけど、反日感情とか経済低迷とか昔はだれも言わなかった理由でアウトになる企業が多くでました。

でも、一度は見ておきたかったので、僕はベトナムへ行ってみました。その時の目的はどんな人がいるのかどんな考え方なのか、コミュニケーションはとれるのか?自分の中でのベトナム人の認識を掴むために行きました。

そこで見たのは予想以上に発展した都市と英語コミュニケーションが可能な人たち。ベトナムって、正直ジャングルとかいっぱいあるところだと思ってたんですが、都市部はちゃんと街になっていて、高層ビルとかもばんばん作られている。新しいビルが何棟もあって、空き地がどんどん開発されていました。

でも一方で、コンビニみたいな店は無かったり、レストランは汚いし、おつりはちゃんと準備してないから買い物しても小銭が無いからおつりないよ!なんて言われたり。国際的な都市とは呼べない状況もいっぱいありました。というかそっちの方が多かった。人は良い奴が多いんです。親切心があって、明るい人が多い。そして、思った以上に優秀な人が多いような気がしました。良い意味でも悪い意味でも計算高い人がいて、話も面白い。おしゃべり好きが多いから知らない人とでも話す。そんな印象でした。

ベトナムのイメージはスゴいいきおいで発展しているけど、みんなで作って行かなきゃいけないものやチャンスもいっぱいあるっていう認識になりました。

 

そして、たまたま会社が必要としていたベトナムマネージャーのポストをもらってこっちで仕事する事に決めたのです。英語でのコミュニケーション能力は今はないですが、身につけられる自信はありましたし、ベトナムでの仕事はステータスにもなる。しかも、ベトナム人は結構いいやつらだったからこの人たちも一緒に幸せになってみんなで楽しむ、日本人ももっとこっちでチャンス掴むという環境をつくるのは悪くないなとそう思いました。

日本ですげえがんばった事をベトナムで再現したら、もしかして、爆発的な結果を生むんじゃないかな!?と思っています。それをがんがん試していくのがしばらくのミッションになりそうです。いくつかアイデアはあるので。

 

そして、ベトナムへ転勤してきました。

 

こっちでのビジネスに可能性を感じているのはベトナム人の理解力の高さと若さ、日本の先進的な技術が融合したらこの国の社会はどうなるのだろうかという事。きっと、良くなる。そして、もしかしたらアジア発で世界を変えちゃう革新的な何かができそうな予感さえ感じます。

ベトナムで知り合った日本の大手システム会社の人がこういっていました。「ときどき、ベトナム人は日本人が1ヶ月かかるシステムを1日で作ったりする」。そして、とある中小企業のマネージャーは「システムの経験は10年以上になるけど、ベトナム人の新卒に負ける事が良くある」。彼らは先進的な技術を具現化する器用さを持っているんだろうな、と思いました。

 

25歳からのロードマップは今、少し修正が必要になっているのですが、この地で何かを掴んでこれからの人生の糧にして行きたいなと思っています。

 

まとめ

なんだかベトナムの話で長くなってしまいましたが、25歳の今思うのは過去の夢とか思っていた事は状況や時代でいとも簡単に変わってしまうので、今やりたいこととか今思う、未来像を大事にしよう!となんだか無理矢理にまとめてみます。

記事の書き始めに思っていた記事の内容は25歳でわかったことを端的にまとめようという事でしたが、なんだか僕の人生をざっくり振り返って今、こうなんだよという記事になってしまったな。。要は人生って、状況とか環境とかで変わっちゃう事が多いけど軸はずらす必要ないし、それを貫く事がきっと幸せな事なんだろうなという事が言いたいです。

まあ、これからも”楽しみながら、成長して幸せになる”に”できるだけ多くの仲間で”というフレーズを付けて軸としてやっていきますわ。

なんだかまじめすぎるな・・・うんこ!笑

さよなら!

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